サカリューの日々の記録

日々の出来事や家庭内で起きたことを雑多に書いていくブログです

自分の存在意義とは

タイトルだけみたら、哲学的なことかなと思いますかね。。

あながち間違ってないかもしれません。結婚してもうすぐ4年になるのですが、今回書く内容は、その中でも一番メンタルに来たことだからです。

「人は簡単に裏切るけどモノは絶対に裏切ることはない」というモノ至上主義と、「人の出会いから生まれる経験は、モノを得る以上に人生を豊かにする」 という出来事(経験)至上主義、この二つが相容れるにはどうしたらよいのか、、ここ数日でずっと考えていた内容です。これって、思想としては真逆だと思うんですよ。

 

ちなみに、モノ至上主義が妻、出来事至上主義が私です。

 

先日起きた会話なのですが、

「人の困り事や誘いには自分を犠牲にしても乗っかるくせに、家や私のことになるとなんにも聞いてくれない」

 

と言われたのです。自分としては、そんな風に見られてたということが一番メンタルに来ました。

二人の生活もあるから何でも買ったりできないし(実際にそれで何でも買ってたら痛い目にあったし)、頼まれてたことを忘れたりすることはあります。でも妻曰く、

「人とのやり取りの方が家のあなたより生き生きしてる」

 

らしいのです。どちらも同じくらい大事にしてると思ってたのに、向こうからしたら全然そうではないようなのです。

言われると、確かに思い当たる節はある。最近、人との出会いとか誘いに乗っかることが続いてた。それでも事前に妻には相談してたし、家の事は常に頭のどっかにあった。

「今まで会った人とのことは大事にしたいし、家の事だって大切にしたい。どっちか一つなんて自分にはできない。」

そう思ってた矢先、妻からああやって言われたのです。向こうからしたら面白くなかったのでしょうね。

でも、それを言われて私はこう思ってしまったのです。

「パートナーである俺の存在意義は何? ただの年貢おさめおじさん?」

 

これまで、「人との出会いが自分を大きくしていく」ことを心に留めて、ない頭を振り絞って仕事とかプライベートとか頑張ってきたんですけど、自分がやってきたことは、しょせん、妻にとっては自分の望んだ生活を脅かすものでしかなかったのかなと。

正直、自分が生きてくための信念を結婚生活から4年経って、根底から否定されてるようにしか思えなかったのです。外に意識を向けず、家のことをやってお金を稼いでくれればそれでいい、と。

それが当たり前にできる人が、私にはうらやましいなと思います。残念ながら自分にはそれができないことを実感したからです。「人の出会いを大切に…」成人してから10年以上そうやって生きてると、なかなか生き方を変えるのは難しいです。

 

 

とまあ、答えが出たようで全く出ていない出来事です。私目線で書いた内容なので、例えば女性側から見たら全然違う見方になるかもです。

しかし、なかなかのヘビーな内容でしたね。。次からはもう少し軽いにしたいなと思ってます。。